小笠原氏の歴史 豊前小倉藩

小笠原氏の歴史 豊前小倉藩

小笠原忠政(忠真) と 豊前小倉藩

小笠原氏の祖長清公から約400年の1615年(江戸初期)、信濃松本藩主 小笠原秀政は、長男忠脩、次男忠政(忠真)とともに大坂夏の陣に参戦しました。
その戦により功績をあげますが、秀政と長男忠脩は亡くなり、忠真が、惣領家の家督を相続し、小笠原惣領家第20代当主になります。

忠真は、1617年、信濃松本藩 8万石(現長野県松本)から播磨明石藩 10万石(現兵庫県明石)に加増転封となります。 明石藩主になった忠真は、徳川秀忠(二代将軍)から外様大名の多い西国の備えとして築城を命じられ、1619年に明石城を築城します。

2019年 築城400年を迎えた明石城


小笠原忠真は、明石藩主としての役割を果たし、1632年 豊前小倉藩 15万石(現福岡県北九州)へ加増転封となります。

同時期に 忠真の弟忠知は、豊後杵築 4万石へ、 忠真の弟重直(松平)は、豊前竜王 3万7千石へ、 兄忠脩の子長次は、豊前中津 8万石へと九州北部に小笠原一族が配され、九州の外様大名の監視体制が整います。

忠真は、譜代大名として、また小笠原一族諸藩の惣領として、徳川幕府の九州対策の要として豊前小倉藩の役割を果たし、惣領家代々の当主に引き継がれます。

小笠原忠統と 旧豊前小倉藩

幕末時期の小笠原惣領家の第29代当主まで、豊前小倉藩主として役割を果たしましたが、明治政府の廃藩置県により、小笠原惣領家は伯爵となりました。

小笠原惣領家第32代当主 小笠原忠統は、代々守り伝えられた礼法を、一子相伝の封印を解き広く一般に伝えられるように門弟の育成にも熱心に取り組まれ、礼儀作法など多くの著書を執筆されました。
また小笠原長清公から代々受け継がれた弓馬術を継承のため門弟の育成に取り組まれました。